【※ネタバレ注意※】
映画『ジュリアン』に関する雑感。
『ジュリアン』の原題は『Jusqu’a la garde』(英題『Custody』)で、【親権】を意味します。
~あらすじ~ (以下ネタバレあり)
両親の離婚により、母ミリアム、姉ジョゼフィーヌと暮らすことになった11歳のジュリアン。
ジュリアンの陳述書を交えながら、夫アントワーヌと妻ミリアムの離婚調停シーンから物語は始まる。
女性裁判官による聞き取りに、妻ミリアムの弁護士はアントワーヌの暴力性を訴え単独親権を要求し、夫アントワーヌの弁護士は子どもにとって両親が必要であると訴え共同親権と隔週末に11歳の息子ジュリアンと過ごすことを要求する。
夫婦の主張が食い違うところもあり、裁判官は「どちらかが嘘をついていますね」と一言。
その後の裁判官の審判で、共同親権と隔週末に父アントワーヌと息子ジュリアンを一緒に過ごさせることが決定される。
妻ミリアムは引っ越し先の新居のことを夫アントワーヌに必死で隠している。
週末に車で迎えにくる父アントワーヌは、息子ジュリアンとのやりとりを通して徐々に新居の情報を掴もうとしていく。
ジュリアンはアントワーヌをミリアムに引き合わせないように嘘をつくが、やがてその嘘がアントワーヌに見破られ新居の場所を突き止められてしまう。
ついにアントワーヌはジュリアンを連れて新居を訪れ、ミリアムの前で「おれは生まれ変わったんだ」と涙を見せるが、ミリアムの表情は硬いまま。
そして、長女ジョゼフィーヌの誕生日パーティーの夜に事件が起きてしまう。
ジョゼフィーヌへの誕生日プレゼントを渡すために現れたアントワーヌに呼び出されたミリアムのところに、ミリアムと親しげな男性が近寄り話し掛けてきてしまう。
これまでずっとミリアムに男性の影を疑っていたアントワーヌは激昂し、その夜中にミリアムとジュリアンのいる新居をアントワーヌが訪れてしまう。
鳴り止まぬインターホンに、抱き合いながらやり過ごそうとするミリアムとジュリアン。
新居に入れてもらえないアントワーヌは発狂し、車からとってきた猟銃を発砲して扉をぶち破ろうとする。
異常事態に気付いた隣人が警察に通報し、ミリアムも警察に通報するが、アントワーヌに見つけられてしまうのが先か警察が踏み込むのが先かの危機的状況に陥る。
間一髪警察が踏み込んできて、アントワーヌは拘束される。
ミリアムとジュリアンは隠れていたバスタブの中で「ようやく終わった…」と震えている。
冒頭の離婚調停のシーンではどちらの言い分が正しかったかが明らかになり、夫アントワーヌの暴力性が悪い方向に爆発した形でエンドロールへ。
まず、邦題の部分から。
ほとんど前情報を入れずに観賞したら、邦題の『ジュリアン』に勝手にミスリードされてしまいました。
てっきり離婚した両親の狭間で揺れ動く息子ジュリアン視点から共同養育の必要性を表現していくものだと思ってしまいましたが、
家庭裁判所の判決の難しさと裁判官が審判を下した後に起きてしまう破綻家庭の実態に主眼を置いたものでした。
日本での共同親権化に異を唱える方々にとっては、一部分を切り取ってその主張を強化するのに使いたくなる要素が多分にあるのは事実です。
それと、タイトルは『親権』かその類いにした方がこの映画の狙いは掴みやすいと感じました。
この映画のグザヴィエ・ルグラン監督は「フランスでは2日半に1人の割合で、ドメスティック・バイオレンスの犠牲となった女性が亡くなっている」というフランスの事情を話していますが、
だから日本での共同親権反対!別居親に子どもを会わせたら碌なことがない!離婚した夫はみんなDV夫だ!という極端な結論を出すのでなく、
裁判や調停の場面でも子どもの最善の利益を考えることが後回しにされがちな実情や、親が自分の目的のために子どもをコントロールすることが如何に愚かなことかを表現しているという部分はしっかりと受け取らなくてはならないと思いました。
あくまでも『ジュリアン』は、離婚家庭の夫の暴力性が高まった結果として警察に捕まってしまうというひとつのパターンを描いた、ということでしかありません。
とはいえ、ラストまで観てしまうと「夫アントワーヌは最悪の暴力夫だ!」「ジュリアンに会わせたら危険しかない!」という感想を抱く人がかなり多くなりそうなのも無理はありません。
ただ、アントワーヌの暴力性は描き切っていながら、その他の要素が放り投げっぱなしなのがどうしても気になってしまいました。
まず、姉ジョゼフィーヌに関して。
ジョゼフィーヌは彼氏に入れ込んでいて、彼氏と会う時は学校をサボっています。
離婚調停でアントワーヌの暴力性の訴えとして出されていたのは、ジョゼフィーヌが彼氏とキスをしていたのをアントワーヌが見つけてしまい手を上げてしまったというもの。
確たる証拠がないのと、夫婦間で主張が食い違っていたのでどちらが正しいかの判断はつかないのですが、度々ジョゼフィーヌが彼氏と過ごして学校をサボる描写が出てきます。
さらにジョゼフィーヌがトイレで妊娠検査薬を使って妊娠発覚する(ような)場面もあり、それに母や父やジュリアンが気付く描写はなく、結局ジョゼフィーヌの妊娠発覚問題は放り投げっぱなしのまま。
おまけにジョゼフィーヌは自身の誕生日パーティーが終わった後、彼氏とそのまま駆け落ちして家に帰らないとも受け取れるような描写がされてフェードアウトしていきます。
そうなると恐らく、ジョゼフィーヌは今後学校にも行かなくなってしまうのでしょう。
夫も妻も、娘ジョゼフィーヌの変化に全く気付くことなく親子関係も唐突な破綻を迎えるという表現なのかもしれませんが、もう少し説明とフォローが必要だった気もします。(個人的に気になってもやもやするので)
次に、最後の方に現れた妻ミリアムと何らかの関係がありそうな男性に関して。
結果的には暴力夫だったアントワーヌですが、暴力性が高まったきっかけのひとつは、妻ミリアムが別の男性と関係を持っているのではないかという疑念を抱いたこと。
ジュリアンは母ミリアムを守るために父アントワーヌに様々な嘘をつきますが、アントワーヌに問われたジュリアンはミリアムに男性の影があることを否定します。
そして終盤に登場する怪しい男性。
もしもその男性とミリアムに男女関係があったとしたなら、ジュリアンがそれを知っていながら嘘をついてその存在を否定したのかどうかでも話は変わってきますし、男女関係があったとして一体どの時期からなのかによってもまた話は変わります。
その男性の存在によって夫婦関係が破綻したのか、破綻した後にその男性がミリアムの拠り所になったのか。
逆に、ただの知り合いにしか過ぎず、全く男女関係でない可能性もあります。
僕はどうしても子ども当事者としてジュリアンの心理状況が気になってしまうので、ジュリアンの心の揺れ動きの流れを掴みたくてミリアムと男性との本当の関係性を知りたくなってしまいました。
(裏設定とかで補完してもらえたらいいなとも感じました)
それと、どうしても気になってしまうところは、ジュリアンがどこまで父アントワーヌを拒絶していたのかという部分。
映画の中では全く描かれていないけれど、ジュリアンがアントワーヌとの良い思い出があるかないかでジュリアンの見え方が全く違ってくる。
僕は個人的な願望から“ジュリアンの心の中にアントワーヌとの良い思い出が少なからずあるはず”というフィルターをかけて見ていましたが(だって邦題が『ジュリアン』なんだもん)、
今作ではアントワーヌの暴力性を悪として描きたかったようなので、ジュリアンとアントワーヌとの良い思い出描写は邪魔だったのかもしれません。
そして、ミリアムの実家で祖父母から平然と飛び交うアントワーヌに対する「クソ野郎」発言。
その「クソ野郎」の血を半分受け継いでいる息子ジュリアンが、自分のルーツやアイデンティティに疑念を抱き苦悩してしまうことも充分に考えられますが、そういった描写はありませんでした。
『親権』の選択によって家族がより破綻してしまう、という映画なんだと思います。
映画の中で迎える最悪な結末、そこに至るまでには様々なポイントがあります。
あそこで別の選択をしていたら、あそこで誰かが介入できていたら、こんな支援がされていたら…。
そういう視点で観るべき映画かなぁというのが感想です。
猟銃をぶっ放して捕まるエンドにしてほしくなかったなぁ。
「ようやく終わった…」のは、母ミリアムだけのこと。
父アントワーヌにも、息子ジュリアンにも、救いが欲しかった。