2011年3月11日午後2時46分に起こった東北地方太平洋沖地震を起源とする
東日本大震災において被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げると共に、
尊い命を失われた方々とそのご遺族の皆様に深くお悔みを申し上げます。

4月8日から4月11日の3泊4日の期間でプロジェクトされました
『ap bank Fund for Japan 東日本大震災 災害復興支援ボランティア』に
私、竹村雄尉も参加し、被災地である宮城県石巻市に行ってまいりました。

1日目は鹿妻保育所の園庭に溜まった大量の泥かきの作業を行いました。
園庭には数cmの泥が層になっていました。
独特の匂いで不衛生な土砂の上では子供たちを遊ばせることはできません。
ひたすらスコップで泥をかいて、土のう袋に泥を詰めていきます。
50人以上で取りかかっても、作業は1日で終わりませんでした。

ボランティアスタッフと共に、保育士の方々も泥かきをしていました。
保育士の方々が笑顔で作業されていたのが印象的で、話しかけてみました。
「子供たちと密に関わる保育士さんが笑顔でいるのがとても心強いです」
やはり笑顔で、そして力強く保育士さんは応えてくださいました。
「私たちが笑顔でいなければ子供たちは守れませんから」
保育士の方々の笑顔の先に、子供たちの笑顔が浮かんでくるようでした。

2日目は市災害対策本部や市災害ボランティアセンター、災害復興支援協議会の呼びかけで
実現した『まちなかスマイルプロジェクト』の初日に参加しました。
始動式は石巻市役所そばのにぎわい交流広場にて執り行われ、
石巻市長の挨拶のあと、亡くなられた方々へ黙祷が捧げられました。

作業は国内外のボランティアを含めた880名体制で行われました。
エリア分けされた場所に各部隊が配置されていって、道路や歩道の一斉泥かき作業など、
石巻駅前・市役所を中心とした広範囲での一斉清掃作業です。
1日がかりの作業になりましたが、通りは見違えるほどにきれいになりました。

被災地の現状として、いくつかのステップがあります。
第1のステップは言うまでもなく「緊急支援」です。
生きるか死ぬか、命の灯を消さないための救命救急支援。
第2のステップは、吹いたら消えそうな命をどうにか繋いでいく支援。
まず食糧、そして生活用品の支援物資などを行き渡らせること。

被災地への支援において、「復興」は何ステップか先に位置するものです。
様々なものが整備されて、たくさんの方々の協力があって初めて「復興」に進めます。

被災地によって状況も違えばニーズも違ってきます。
食糧に困っている場所もあれば、生活用品に困っている場所もあります。
そして、時間が経過するにつれて状況もニーズも変化していきます。
状況とステップ次第では、たくさんの人手が必要になる場面だってあるのです。

石巻市、特に市の中心部は、「復興」に向けて歩み出しているステップにいるのだと感じました。
「さぁここからみんなで復興に向けて立ち上がろう!」という想いが込められているのが、
『まちなかスマイルプロジェクト』なのだと理解しています。

もちろん、被災地と被災者のための活動は「復興」だけではありません。
復興作業をする人、被災地と被災者のニーズを把握する人、困っている人に必要な物を届ける人、
ライフラインを確立する人、命を救う人、そして生きる意志を強く持った人々。
それぞれにたくさんの人が必要です。

今後も大震災の被害が続いていく中で、私たちには一体何ができるのでしょうか。

まず自分や家族の生活を守ることが第一なのは間違いありません。
そのうえで自分のできることやるべきことを探して見つけることです。
多くの人は生活的・精神的に余裕がなければ誰かの手助けはできないのです。
両手がふさがっていれば、倒れてきたものを支えることもできません。
「ボランティア」も、そういった感覚と同じものではないでしょうか。
困っている友達を助けにいくのとボランティアは何ら変わりありません。
お手伝いに行きたいから被災地へ行く、ただそれだけの感覚です。
被災地へ行けない方は、違う手段でお手伝いをすればいいのです。
義援金もひとつのお手伝いの手段です。

この状況下で、私を含め、被災地へ赴き現状を目の当たりにしてきた者には、
自分の生活している環境に持ち帰ってから家族や友達、周りの人々にありのままの姿を
自分なりの想いと言葉で伝えなくてはならない責任があると思います。
どんなに大きな事件や災害があってもだんだんと風化されて意識が薄まってしまうものです。
阪神・淡路大震災の時も、次第にボランティアの数が減っていき、
時間が経過するにつれて復興の速度が緩やかになった経緯があります。
私たちは今日までの経験を踏まえて、明日へと成長していかなくてはなりません。
私は、この体で“身た”こと、この心で感じたことを伝えていきます。
そして、支援の輪が途切れないように、その縁が広がっていくように
働き掛けていくことが私の、被災地へ行ってきた者の役目だと捉えています。

みなさんもできる範囲での被災地へのお手伝い、続けていきませんか。

めぐろくらぶ 竹村雄尉